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井上重久

▼活動の備忘録

2018年8月10日(金)「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」!

長崎市は、8月9日(木)10時40分から平和公園(松山町)において、安部首相をはじめ各与野党の代表、遺族や被爆者、71カ国の政府代表者ら約5,200人が参列、「被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を営み、原爆で亡くなった皆様のご冥福をお祈りするとともに、核兵器廃絶に向けての誓いを新たにした。田上市長は、平和宣言で「核兵器の非人道性や核廃絶を目標とした国連決議に言及し、核抑止論が根強い現状への危機感を表明。核に頼らない安全保障政策への転換を世界に訴えた」、「核禁条約の早期発効に向けて、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてほしいと世界に呼びかけ、さらに日本政府には唯一の被爆国として条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすよう求めた」、「北朝鮮非核化の動きを機に、北東アジア非核兵器地帯実現へ日本政府に尽力を要請した」。

式典で安部首相は、「核廃絶には核保有国と非保有国の協力が必要として唯一の被爆国として非核三原則を堅持し、粘り強く双方の橋渡しに努め国際社会の取り組みを主導する」との挨拶があった。被爆者を代表として田中照巳さん(日本原水爆被害者団体協議会代表委員)より「核禁条約の採択をこれほどうれしいことはないとし、日本の不参加には極めて残念である。核兵器禁止条約を発効させ、核兵器もない戦争もない世界の実現に力を尽くす」との平和への誓いを述べた。平和公園には、多くの市民らが来場し原爆投下時刻の11時2分に、原爆の犠牲となられた多くの御霊に対し黙とうを捧げた。被爆地長崎は8月9日73回目の原爆の日を迎え、県内各地で犠牲者の冥福を祈る慰霊祭や追悼行事が営まれ、小中高校では平和集会が開かれるなど「祈りと誓いの日」となった。また、被爆者による合唱や城山小学校の児童合唱、純心高校生による長崎市出身の大島ミチルさん作曲の「千羽鶴」が披露された。

2018年8月9日(木)「議連との意見交換・三菱慰霊祭」!

核兵器廃絶長崎市議会議員連盟(井上重久会長)は、8月8日(水)核兵器廃絶広島市議会議連メンバー6名と夕食を兼ねての「意見交換」を行った。さる8月6日に長崎市議会議連メンバーが広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式(広島平和記念式典)に参列し、今回は広島市議会議連のメンバーが長崎市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典出席のため来崎した。平成28年3月に長崎市議会では、広島市議会とともに世界から核兵器の廃絶の実現を図り、もって国内外の人々と平和への思いを共有するとともに、長崎市をはじめ、国内外における平和活動に寄与することを目的に、核兵器廃絶議員連盟を設立して、昨年に続いて相互に訪問している。

次に、三菱重工㈱長崎造船所(宮崎正生所長)は、89日(木)10時から昭和寮内食堂において遺族・関係者など参列するなか「三菱原爆殉難者慰霊祭」を執り行った。73年前の89日午前112分、一発の原子爆弾で長崎のまちは一瞬に壊滅し、職域や地域における死亡者は約7.4万人、負傷者は約7.5万人が負傷した。当時、三菱重工長崎造船所で働いていた約3,000人、学徒動員約1,000人の皆様も犠牲になった。多くの御霊のご冥福を祈念し、蜂谷所長代理より「長船事業所は先人達の尊い犠牲のなかで発展してきた。より平和な社会の実現を目指さなければならない」、酒井執行委員長より「永遠に忘れることが出来ない祈りの日である。被爆者も高齢化し、核廃絶も遅々として進まずあの惨禍を繰り返してはならない」と慰霊の言葉が述べられた。

2018年8月8日(水)「広島平和宣言・平和への誓い」!

松井一実市長(広島市長)は、8月6日広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式広島平和記念式の「平和宣言」で、世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある。核兵器がさく裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっている。被爆者の訴えは核兵器を手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘で、その声に耳を傾けることが一層重要になっている。ICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まる一方、自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進む。核兵器廃絶への取り組みが、各国の政府指導者の「理性」に基づく行動によって「継続」しなければならない。政治指導者に対し、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取り組みを。日本政府には、条約発効に向けた流れの中で、国際社会の対話と協調を進める役割を果たすよう求めるなど訴えた。

「平和への誓い」では、人間は美しいものをつくることが出来る。しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間である.昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われた。「助けて」と、泣き叫びながら倒れている子ども、皮膚は垂れ下がり、腕の肉がない姿。73年が経ち、私たちに残されたのは、血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言、そして今なお、遺骨のないお墓の前で静かに手を合わせる人。広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、今、私たちは、強く平和を願う。平和とは、自然に笑顔になれること・・・その平和への思いをつないでいく私たち、私たちは無力ではない。73年前の事実を、被爆者の思いを、私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になることなどを力強く誓った。