三菱重工㈱長崎造船所(藤田真所長)は、8月9日10時から三菱重工昭和寮内食堂において遺族・関係者らが参列するなか「三菱原爆殉難者慰霊祭」を執り行った。8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾で長崎のまちは一瞬に壊滅し、職域や地域における死亡者は約7.4万人、負傷者は約7.5万人が負傷した。当時、三菱重工長崎造船所で働いていた約3,000人、学徒動員約1,000人の皆様も犠牲になった。多くの御霊のご冥福を祈念し、藤田所長より「長船事業所は先人達の尊い犠牲のなかで発展してきた。事業を通じて地域社会に貢献し、平和な社会の実現を目指さなければならない」、三菱G労連長崎地区本部塩田執行委員長より「永遠に忘れることが出来ない祈りの日であり、あの惨禍を繰り返してはならない」と慰霊の言葉が述べられた。被爆地長崎では、各地で犠牲者を追悼する行事が営まれた。
次に、8月9日ナガサキ平和祈念式典終了後、長崎市松山町の爆心地公園近くを流れる下の川護岸で、子ども達が平和の祈りを込めた「平和の祈りキッズゲルニカinながさき」の展示を観賞したので備忘録に掲載する。展示は8月6日から31日まで、反戦を訴えるピカソの「ゲルニカ」にならい、作品の大きさは縦3.5㍍、横7.8㍍、両岸壁に本県の子ども達が描いた作品のほか、広島、米国、台湾からも参加し、12作品が展示されている。カラフルな作品の中に、被爆80年に向けて山里小学校の児童が描いた作品も展示されている。(8月9日は早朝から午前10時頃まで局地的な豪雨、12時10分撮影の長崎原爆落下中心地の廻りは水が溜まっていた)。昨日(11日)は局地的な豪雨の影響で、大浜町の国道202号には土石流が流れ込み被害を受けたが、地域住民が協力して後片付けを行った。