さる5月9日17時30分過ぎ頃、中島川周辺を散策しながら目的地に向かう途中、スマートフォンのシャッターを押した。中島川に架かる多くの石橋群は、中島川沿いに立ち並ぶ寺町の各々の寺院が己の寺専用の橋を設けたことが始まりだとか?この一覧橋は、明暦3年(1657)唐通事の高一覧が浄財を募り架けたといわれている。享保6年(1721)と寛政7年(1795)の大洪水で崩壊、流出したという説など諸説あるという。現在の橋は、昭和57年(1982)の長崎大水害後の昭和61年(1986)に再建。光永寺(桶屋町)は、慶長19年(1614)慶西が開創。安政元年(1854)福沢諭吉が一時寄宿し、蘭学を学んだ場所であり、明治12年(1879)長崎県会(現在の長崎県議会)が初めて開会された場所と、案内板に記されていた。(写真の手前が古町橋、その奥が一覧橋)