三菱重工㈱長崎造船所(椎葉邦男所長)は、8月9日(日)10時から昭和寮内食堂(昭和町)において遺族・関係者らが参列するなか「三菱原爆殉難者慰霊祭」を執り行った。75年前の8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾で長崎のまちは一瞬に壊滅し、職域や地域における死亡者は約7.4万人、負傷者は約7.5万人が負傷した。当時、三菱重工長崎造船所で働いていた約3,000人、学徒動員約1,000人の皆様も犠牲になった。多くの御霊のご冥福を祈念し、椎葉所長より「長船事業所は先人達の尊い犠牲のなかで発展してきた。より平和な社会の実現を目指さなければならない」、酒井執行委員長より「永遠に忘れることが出来ない祈りの日である。被爆者も高齢化し、核廃絶も遅々として進まずあの惨禍を繰り返してはならない」と慰霊の言葉が述べられた。今年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、それぞれの慰霊祭や平和集会など規模を縮小しての開催となった。