三菱重工㈱長崎造船所(石瀬史朗所長)は、8月9日10時から三菱昭和寮内食堂において遺族・関係者など参列するなか「三菱原爆殉難者慰霊祭」を執り行った。77年前の8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾で長崎のまちは一瞬に壊滅し、職域や地域における死亡者は約7.4万人、負傷者は約7.5万人が負傷した。当時、三菱重工長崎造船所で働いていた約3,000人、学徒動員約1,000人の皆様も犠牲になった。多くの御霊のご冥福を祈念し、石瀬史朗所長より「長船事業所は先人達の尊い犠牲のなかで発展してきた。より平和な社会の実現を目指さなければならない」、三菱G労連長崎地区本部塩田執行委員長より「永遠に忘れることが出来ない祈りの日である。被爆者も高齢化し、核廃絶も遅々として進まずあの惨禍を繰り返してはならない」と慰霊の言葉が述べられた。被爆地長崎では、各地で犠牲者を追悼する行事が営まれた。