2021年3月29日(月)「福田の歴史・山口広助講演会」!

福田小学校区コミュニティ連絡協議会歴史・伝統部会は、3月27日14時から福田小学校体育館において約80名が参加して「山口広助講演会~福田の歴史を語る~」を開催した。山口広助さんは長崎ケーブルメディア「長崎ぶらぶら好き」「ヒロスケの歴史さんぽ」などで、長崎のまちを歩きながら史跡の紹介、長崎の歴史や魅力を伝え、2014年4月にはNHK「プラタモリ」に出演し、長崎市街地を案内している。旧福田村は、平安時代の末期の治承4年(1180年)隈平三(平兼盛)が老手村・手隈村の地頭職として後の福田村を治めて以来、江戸時代後期の文化11年(1814年)領地没収までの約634年の間、隈氏改め福田氏が治めてきた。その福田氏は、安土桃山時代に大村氏の勢力下に入り、大村純忠の要請に基づき永禄8年(1565年)の福田浦開港によるポルトガル船が入港し、後に長崎開港の幕開けとなった。

また、福田の千本松原は津波よけとして田子島から崎山までの海岸沿いに多くの松を植えたことから、その名が付けられたと伝えられている。この地には、安政2年(1855年)福田台場(砲台)が設けられ、一の台場・ニの台場・三の台場・四の台場と、かつて4つの砲台があり、福田地区の史跡の一つになっている。福田村の鎮守さま「天満宮の再興」創立号不知、寛永12年(1635年)田子島(現在のあこうの木付近)に再興するが、津波の影響で天和元年(1681年)現在地に移された。その他に、福田浦の開港に伴いかつて異国船警備の要所であった福田大番所、福田古城跡,だんどん様、火渡し橋などの由来について話があり、福田の歴史を学んだ。

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