渕学校創立80周年記念事業実行委員会(藤岡一義実行委員長・田中法斉校長)は、2月2日(日)9時30分から渕中学校体育館において来賓・実行委員、地域関係者・在校生らが出席して「渕学校創立80周年記念式典」を開催した。開会冒頭、原子爆弾によって亡くなった先生・生徒の皆さんの御霊に黙とうを捧げ、全員で国歌・市歌の斉唱を行い式典が始まった。実行委員会を代表して、藤岡実行委員長より「渕学校は昭和15年に開校し80年を迎え、卒業生は24,000人を超えた。人生80年、平成から令和へと元号も変わり、つらい歴史を後世に繋げようとの思いから実行委員会を立ち上げた。テーマは、~Reborn;新しい次の世代へとつなぐ~とした」、田中校長より「4月の桜に先駆けて咲く母は”梅の花“桜の花のように華やかではないが、寒く凛とした空気の中に滑らかにすがすがしく花が梅の花、渕学校創立時のこの地は梅ヶ岡と呼ばれていた。戦前戦後含め校名が3回変わり、そのため同窓会は誰でも入れるように渕学校同窓会となっている。原爆投下で校舎は破壊されが、復旧・補修を行い大切に使われて来た。渕中学校卒業生の福山雅治さんの“クスノキ”の作詞にある“我が魂は 奪われはしない”この詩は平和を願う長崎人の気持ちが込められている」との挨拶があった。
来賓挨拶では、橋田教育長より「渕中学校の歴史は、昭和15年渕高等小学校で始まり、昭和22年学制改革に伴い生徒数516人10学級の淵中学校で開校した。爆心地に近い渕中学校は、被爆当時の城壁や正門の一部など多くの被爆以降が残され、卒業生によって建立された平和モニュメント“平和の輝生(きしょう)”は平和に対する人類の願いが込められている。また渕中学校は、長崎市で始めてパソコン室が設置され、インターネットができる環境が整い、長崎の情報教育が淵中から始まった。80周年を迎えた喜びを共有し、これからも渕中学校区の更なる発展にご協力願う」との市長メッセージが代読された。その後、生徒会による80年の歴史を写真と寸劇によって「渕中学校のあゆみ」を紹介し、1部記念式典を終えた。Ⅱ部渕中学校吹奏楽部の記念演奏、記念講演「テーマ:最高の人生の創り方」については、ソフトボール協会理事会のため出席出来ず残念であった。実行委員会・多くの関係者の皆様に敬意を表し、今後とものご活躍・ご健勝を祈念いたします。