前日に続き、新上五島町の教会群関連について掲載する。冷水教会は、青砂ケ浦天主堂より先立つこと3年、明治40年(1907年)5月献堂式が行われた。設計施工は、長崎県下に数多くの教会を残した郷土出身の鉄川与助による。氏は当時27歳、独立して初めて自ら設計施工した教会である。青砂ヶ浦の赤煉瓦造りに対して、純然なる木造建築である。列柱は角柱で、簡素な植物模様主頭は旧鯛ノ浦教会堂に酷似し、堂崎天主堂にも相通じるものがある。単層屋根構造、内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰仕上げ4分割リブ・ヴォールト(こうもり)天井を取り入れ、当時としては極めて斬新な建築である。全体として穏やか尖頭アーチを基本に用い、側面の窓は5つの円を組み合わせた模様となっている。(冷水教会の説明板より)
明治15年(1882年)江袋に聖堂が設立されていたが、昭和7年(1932年)に主任座が仲知に移された。現在の仲知教会は、昭和53年(1978年)に建立され、山を背に教会堂が斜面に這うように建っている。仲知(島の首)の移住開拓が始まったのは1810年頃、西彼杵黒崎村の島本与治右衛門らが最初の開拓夫婦として移住したことによると記されていた。現在の教会堂を新築するにあたっては、各戸(70数戸)の負担額は100数10万円に及び、多額の拠出と労力奉仕がなされその苦労は計り知れないもので、信仰心の強さを感じさせる。特に教会内の色鮮やかなステンドグラスは美しく、ステンドグラスには聖書の場面が施されており、訪れる人の心を惹きつけてくれる。(写真は冷水教会、仲知教会、青砂ヶ浦天主堂)