昨年は長崎開港450周年を迎える中、「みなとまち長崎」を未来につなぐことを目的に、記念式典や長崎開港フェスタ450(ヨンゴーマル)、本年3月には長崎開港シンポジウム500など記念事業が実施された。コロナ禍の中、イベントの中止・延期を余儀なくされたが、県庁跡地から万才町周辺の国道34号を歩行者天国とし、イベントや展示・飲食・物販ブースが設けられ、会場は多くの来場者で賑わいを見せた。開校以来、長崎のまちは港を中心に海外との交流を重ね発展してきた。本年は西九州新幹線の開業をはじめ、様々なプロジェクトの進展により、まちの形が大きく変化し、百年に一度の変革の時期を迎えている。長崎の港が育んできた歴史や文化を継承し、500周年の未来に向けて更に発展することを祈念する。
長崎開港記念会では、長崎にポルトガル貿易船がはじめて入港した元亀2年(1571年)を長崎開港の年としている。また、入港日がはっきりしなかったため、長崎に初代代官の鍋島飛騨守直茂が、天正16年(1588年)4月2日(新暦4月27日)に任命された日をもって開港記念日とし、記念行事が行われている。昨年の記念行事において赤瀬浩氏の講話では、長崎の由来は様々あるが、ポルトガル貿易船が長崎に入港した際、海上から見える「長い岬」が城壁を思わせたのでは・・・。キリスト教の布教や貿易の拠点地として、大村純忠は6町(現在の万才町付近に島原町、大村町、外海町、平戸町、横瀬浦町、文知町)を建設し町が発展してきた。旧県庁舎があった江戸町から官庁街の万才町一帯では、断続的に石垣が表れ「長い岬」の周囲を取り囲んでいると話していた。(写真は築町周辺の石積み)