視察3日目(11月11日)、8時20分過ぎホテル出発、前日に続きバスに乗車し約2時間かけて福清市江陰港(福州保税港)を訪問。この福清市江陰港(福州保税港)は、2012年から2030年にかけて港湾が整備されており、現段階でコンテナ岸壁は1kにも及びコンテナ専用のクレーン(60トン)は10基、コンテナ置場には20トンクラスも設置されており、今後の港湾整備の説明を聞いて、スケールの大きさに度肝を抜かれた。物流拠点の整備は、将来の貿易拡大に向けて、経済の飛躍的発展を目指すもので、中国政府も含めた施策の一つであると思われる。広大な土地を有する、中国ならではと思いつつ、私自身納得せざるを得なかった
福清市江陰港視察後、福清市の黄檗山万福寺(重要文化財)を訪問。この黄檗山萬福寺は、日本でなじみの隠元禅師が46歳の時住職となり、当時中国においても高名な僧として、その名声は日本に届いていたと記されている。隠元禅師は、中国明時代の1592年福建省福州府に生まれ、29歳で仏門に入り63歳(1654年)の時に、30名の弟子とともに来日し始めは長崎の興福寺の住職となっている。京都宇治市にある黄檗山萬福寺は、黄檗宗の中心寺院で隠元禅師を開山に講じて建てられ、建物や仏教の様式、儀式作法など中国風で、日本の仏教寺院とは異なった景観を有している。隠元の来日と萬福寺の開創によって、新しい禅やさまざまな中国文化が日本にもたらされた。隠元の名に由来するインゲン豆のほか、孟宗竹、スイカ、レンコンなどもたらしたのも隠元だといわれている。
午後からは、福清市主催昼食会の後、福清市から約2時間かけて福州市に戻るが、あいにくの雨に遭いながら福州自由貿易試験区受付ホール、三坊七巷(さんぼうななこう)を視察。福州自由貿易試験区受付ホールは、福州市における貿易製品の輸入・輸出時の税関手続きの簡素化を図り、利便性の向上や金融相談などを行う場所として運営されている。将来の国際貿易の拡大をにらみながら、試験区の整備も計画されていた。三坊七巷は、市街地の中心に位置し907年~960年の時期に形成された街で、北から南へ10本の通リが並び坊は役人や文化人等は多く住み、巷は庶民が住んでいた下町であった。古き建築物や道路が修復され、歴史的景観が再現され歴史を活かしたまちづくりが行われ、多くの観光客で賑わっていた。
夕方は、18時過ぎに歓迎レセプション会場に到着後、福州市副市長との会見に臨み、福州市人民政府胡副市長より「両市では多くの分野で交流が深まっており、公式訪問団を歓迎する」、長崎市加藤副市長より「交流35周年を記念し訪問した、今後とも友好と交流を築いていこう」との挨拶があり、双方からそれぞれメンバーの紹介や記念品の交換があった。また、公式訪問を機に、2008年4月に「水産交流協議書」を締結以来、双方が技術研修員を派遣し、水産養殖交流分野で大きな成果を収めており、福州市の水産交流協議書(更新)の調印式も行われた。協議書の内容は、今後も必要な時期に相互訪問団を派遣し、漁業について視察し、海洋資源と環境保護、海洋科学技術、漁業貿易などについて交流を深めることなど5項目からなっている。
本日7時過ぎ、防災無線から三和町土井の首バス停付近において、水道管の破裂により交通渋滞が発生している旨の放送があった。丁度、通勤時間帯と重なり、長崎市の幹線道路は11時頃までは大渋滞が発生した。日常使用している私のパソコンも、本日は起動せずトラブル発生(容量満杯)となり、買い替えの時期を迎えた。「活動の備忘録」の掲載も、毎日アップしているが継続することの難しさを痛感しているが、出来る範囲で頑張って行きたい。