2020年10月13日(火)「軍艦島(端島)視察」!

全国市議会議長会(野尻哲雄会長、大分市議会議長)は、さる10月7日・8日に長崎市において7ブロックの議長及び議会事務局長並び全国市議会議長会事務局らが出席して「全国市議会議長会正副会長会議」を開催した。会議終了後、長崎原爆資料館や、翌日8日には世界文化遺産の軍艦島(端島)の視察を行った。軍艦島(端島)は、長崎市(旧高島町)にあるかつて海底炭鉱があった島で、長崎港から南西約18㎞の海上に位置し、1897年(明治30年)から6回の埋め立て拡張が行われ、南北に約480m、東西に約160m、面積6.5haという現在の大きさになった。島の周囲がコンクリートの岸壁で覆われ、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている。

軍艦島では、1810年頃に石炭が発見され、1870年頃には佐賀藩が小規模の採炭を行っていたが、1890年に三菱社の経営となり、本格的な石炭の採掘が開始された。海底炭鉱から採掘される石炭は良質で、1974年の閉山まで約1,570万㌧を供給し、隣接する高島炭鉱とともに燃料や、製鉄用原料炭として造船や製鉄・製鋼の分野の面で、日本の近代化に貢献した。2015年(平成27年)「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録された。1916年に日本最初の高層鉄筋アパートである30号棟が建設され、最盛期の1960年には約5,300人が住み、人口密度は当時の東京都区部の9倍に達している。1974年1月に端島(軍艦島)炭鉱は閉山し、無人島となり、その後、30年以上の時を経て見学施設が整備され、2009年4月に上陸が可能となり、新たな歴史を刻み始めた。(軍艦島パンフレットより)

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